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デザインのオコボレ。

なぜだかブルースリー。

リーマンショックやらサブプライムやらの影響か、2千億円だの2兆円だのとやたらに僕の周りの身近なところが騒がしく騒いでいる。
正直、2万円とか2千円とかのほうが僕にとっては大事だけど、均衡を実計らないながら、そうですね、いやですね、なんとかならないですかね、と口車をあわせている。
最近、耳に出入りする話の内容がオヤジ化してきています。いけません。

そういえば、別の僕の周りの身近なところに纏わりついてくるものがもうひとつ。
ブルースリー。あのブルースリー。あの。おかしいよなあ、変だなあ。ブルースリーに何がある?

僕の周りの身近な花屋では、新人スタッフの教育理念だ。
僕の周りの身近なパン屋でも、ブルースリー風の挨拶が流行らしい。
嘘か誠かわからないけれど、僕の周りの身近なところにブルースリーが纏わりついたのは確か。

なかなか明るい先が見えない土曜の朝、ああオヤジになってはいけないと本棚から手に取った本は、「FLY,DADDY,FLY」 金城一紀 著

ちょっと恥かしくて汗臭くて、会計する時堅苦しい本と本の間に入れてしまいそうなやつ。と言いつつも、「GO」に「映画編」に「対話編」とか読んでましたが・・・。

ほぼ全作に出てくるんですよ、「燃えよドラゴン」が。
気持ちを少しタイムスリップさせながら思い出したのは、ブルースリーの有名なセリフ。

『Don't Think.Feel ! 』

考えるな 感じろ!

オヤジども。

Yes We Can のさじ加減。

  • Posted by: JUNICHI KATO
  • 2008年11月14日 22:14
  • こぼれ話

オバマさんに対する政権移行は、疑問符を抱えつつも、ことのほかスムーズにいってるらしいです。

演説の映像を何度も見ていて思ったのですが、オバマさんが「Yes We Can!」って言い放つ毎に繰り出される、右手人差し指と親指の微妙な重ね具合がとても印象に残ります。

強くもなく弱くもなく、非常にいい塩梅なのです。

あれって、日本で言えば「一つまみ」って感じですよね。

料理番組を見ていても、「一つまみ」のさじ加減は味の要で、あの一つまみがないと、なんだか台無しになるような気がして。

といって、「一つまみ」ってどれくらいかなんてほとんど調べないでしょ?

調べたら最後、あいまいなところは決まったさじ加減に置き換わってしまいますからね。

あいまいな所は、そのあいまいさゆえのあいまいな判断力で成り立っているのです。

最後の最後、一番大事なところはそのファジィーなゆるさかも知れません・・・。

 

お酒が入ると支離滅裂な文章になりますが、これも、ファジィーファジィー。

一時流行った、ファジィー理論ってどこにいったんやろうか?ゆらぎっていうやつ。

Yes We Can

  • Posted by: JUNICHI KATO
  • 2008年11月12日 22:44
  • こぼれ話

Yes We Can


I Have a Dream
私には夢がある

Yes We Can
やれば出来るさ

※ニューハンプシャー州での演説は、10:00ぐらいから観てもいいのかなあ。

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鼻毛をくすぐるほどの

  • Posted by: JUNICHI KATO
  • 2008年10月31日 16:46
  • こぼれ話

最近よく耳にする言葉。

メタミドホス
アフラトキシン
シアン化合物
メラミン    etc

カタカナばかりです。
匂いの異常さには気付いたけれど、食べないでいることは出来ませんでした。(粉ミルクは別だけど)
腐敗した臭い以外には慣れようがないから、正直想像もつかなかったのかもしれません。

食品に賞味期限なんてなかった頃、お母さんがクンクンと匂いをかいで安全の太鼓判を押し、腐敗の攻撃から家族を守っていた。
因果関係はないけれど、おかげで鼻毛もよく伸びた。かも・・・。

鼻が賞味期限判断装置の僕も、クンクンと匂いをよくかぐ。すこし迷うぐらいの微妙な塩梅の時は、相方の鼻をも借りる。それは片方の意見を尊重してゴミ箱行きを決めてしまうか、押し切って調理してしまい後悔するかのどちらかを意味している。結局、微妙な塩梅の時は止めといたほうが良い。
時にその匂いのあまりの香ばしさに虜となってしまい、2人して大笑いしながら鼻を近づけることもある。これは腐敗の功名あるいは臭い物には蓋するなと言うべきで、パラドックス的に夫婦円満の秘訣だと言える。
のおかげかどうか、2人とも(特に僕)鼻毛がよく伸び、ケアを怠る僕の鼻の穴からいつもニコニコと挨拶してくるので正直困っている。

少し脱線した。
今までは腐敗から家族を守れば良かっただけなのに、たて続けにお母さんの敵が増えてしまった。
お母さんはこれからもっと大変になる。何だか得体の知れないカタカナな敵と戦わねばならない。
自らを凍らせ無臭のふりをしたかと思えば、安心の大きさに惑わされる時もある。なかなかの強敵である。

防御は最大の攻撃だという。
お母さんは家族のためにクンクンと匂いをかぎ続けるしかなく、自爆を防ぐためには鼻毛を伸ばさざるおえない。
何年後かのお母さんの鼻は高くなりまわりの筋肉も盛り上がる。ついでに鼻毛も太く伸びやすくなる。理想のお母さん像も変わるだろう。

反感かいそうなので鼻毛の話はこれぐらいにして、美しい詩のひとつでも。


・初雪の朝に

羞恥な女が谷間に下りたつたやうに
一夜にして私の眼界を洗清めた
ものしづかな白い世界よ

私はこの冷えた冬の期節を
雷鳴のやんだあとの
深淵の傍らにゐるやうな寂しさを好む

乾いた唇も吹け
しわがれた咽喉も吹け
鼻毛をくすぐるほどの柔かい風に吹かれて
聡明なお前の風にふかれて
私は胸苦しいものを散らすであらう。-小熊秀雄- 

マイナスカレー。

  • Posted by: JUNICHI KATO
  • 2008年10月29日 10:59
  • こぼれ話

じゃがいもが少しにたまねぎ、あとはなすびがゴロリ。
外見はくたびれ気味だけど大人味のスパイスも力を蓄えている。

結果はどうであれ、ありきたりな手軽さだけでは満足できない。
とたん、出番待ちの手羽先の先っぽとねぎの青い部分が脚光を浴びはじめ、インスタントコーヒーにバルサミコ、はちみつにウースターソースが脇を固める。

さっきまでごそごそと動いていた指が凍えそうになるのと引き換えに、早々と主役の不在を決めてしまった。
中途半端なぶれた配役では脇をも甘くしてしまう。
牽引力はないけれど、持ち味を生かした群像劇を丁寧に作り上げることにする。

手羽先の先っぽは生々しい癖が過ぎて扱いづらいけれど、ねぎの青い部分に手綱を預けながら、脇を固める華やかさにはさぞ目もほころぶことだろう。全体の流れを支えて貰いたい。
じゃがいもは小粒でも角が立つくらいの存在感が欲しい。こなれて丸くなった姿は自分好みではない。
たまねぎには二役演じてもらうことにする。
まずは時間をかけ、己が消えてなくなるまで存在感を消していただく。それは何もかも失いかけた限界の瞬間に生まれる無の凄みだ。後半は、透明感漂う熟練された技もお披露目する。
最後はなすび。一見地味で味気がないと思われがちだが、まわりを巻き込みながら成長していく力には目を見張るものがある。今回はその持ち味を生かし、思う存分吸収してとろけるような演技に期待した。

主役不在は確かに痛い。どう転ぶかわからないし、そもそも成り立たないかも知れない。
ただ、今まで世の主流は主役の寄せ集めだった。
それで成り立ち、それが成り立ちだと信じていた。どんどんプラスしていけばよりすばらしくなると。
主役の上に主役を重ね、重ね続けたあげくが今にたどり着いた。

脇役は主役に比べればきっと何かが足りない。比べればマイナスだ。
目の前でグツグツと音を立てる主役不在の鍋の中は、そんなマイナス同士でごちゃ混ぜだけど、それぞれの持ち味を出し合い、補い合い、マイナスとマイナスが掛け合わされてプラスになっている。
もう少しの間、やさしく煮込めば出来上がりです。

そう、これが、マイ・ナスカレー。

お後がよろしいかは抜きにしても、お味の方はよろしいように。

正しさのいびつ。

  • Posted by: JUNICHI KATO
  • 2008年10月26日 14:11
  • こぼれ話

「正しさ」はいびつさを持ち合わせている。

僕たちは常日頃、いろんな意味での左右対称なシンメトリーに、

美しい正しさや安心感のある正しさを求めてしまう。

それは一時の美しさや安心感を与えるものかもしれないけれど、

正しいものはいびつなものだと置き換えることが出来れば、

正しさの中の本来の正しさがそこに浮かび上がってくるようになる。

シンメトリーを崩され不安定な「正」のカタチには、そんな暗示めいた示唆があるのかもしれません。

っぽくないかもしれませんが・・・

意外と好きなんですよ、エゴ・ラッピン。

8年前ですか、「色彩のブルース」を聴いたときはググッときて、今は無きヴァージンメガストアズまでドスドスと飛んでいった記憶があります。

っぽくないかもしれませんが・・・。

音出ますんでね、お気をつけあそばせ。

こぼれおちた、タイトル。

  • Posted by: JUNICHI KATO
  • 2008年10月21日 01:44
  • こぼれ話

本棚を整理するつもりで製図板の上に積み上げたら、本のタイトルがゴソッとこぼれおちた。

「頭の中がカユいんだ」
「恋は底ぢから」
「今夜、すべてのバーで」
「僕が踏んだ町と僕に踏まれた町」
「愛をひっかけるための釘」
「ぼくに踏まれた街とぼくが踏まれた街」
「永遠も半ばを過ぎて」
「水に似た感情」
「心が雨漏りする日には」

指名買い、ジャケ買い、ランキング買い。
買い方なんてされどあれ、タイトル買いって本だけだと思いません?

中島らもの本のタイトルには、いつもググッと痺れてます。

デザインのオコボレ。

  • Posted by: JUNICHI KATO
  • 2008年10月 8日 09:46
  • お知らせ

小さな製図板の上からこぼれ落ちた、デザインのこぼれ話。

小さなデザイン事務所の、独断と偏見とゴリ押し。

オコボレに与るも良し、こぼれ落ちたような話は読む価値なしと判断するも良し。

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